光心寺 軍艦比叡鎮魂碑

光心寺 軍艦比叡鎮魂碑

<シリーズ> 衣笠商店街 近隣のみどころ

取材:2019 年 6 月 1 日


光心寺 境内

JR衣笠駅から歩いて5分。

楠箇山 光心寺は、静かな雰囲気が気持ちのよいお寺です。

光心寺 本堂

忠魂祠堂

本堂の左手には、忠魂祠堂(ちゅうしどう)というお堂があり、ここには大戦の戦没者と自衛隊の殉職者の位牌が奉られています。また、「戦艦比叡」の木造模型が奉納されており、日頃は閉まっていますが、お盆とお彼岸の時期には参拝することができます。

忠魂祠堂

軍艦比叡鎮魂碑

軍艦比叡鎮魂碑(ぐんかんひえいちんこんひ)は、戦没者ご遺族の方々の依頼により、昭和 57 年(1982 年)建立。

<碑文>
正面軍艦比叡鎮魂碑
裏面昭和五十七壬戌年五月吉日
比叡会及び遺族外有志一同建之

「壬戌」(みずのえいぬ)とは、干支(えと)のひとつです。 また「建之」とは(これをたつ)と読みます。

正面の銅板には軍艦比叡戦死者芳名が刻まれています。裏面の銅板には、艦歴が記されています。

戦艦比叡艦歴
比叡は大正三年八月巡洋戦艦として横須賀工廠で完成し、横須賀在籍の新鋭艦として活躍した。
昭和五年軍縮会議の結果、練習戦艦となり、その兵装機関の一部を撤去し第一線を退いたが、その間にも昭和八年の特別大演習、同十年の南九州行幸及び翌十一年の特別大演習の三回にわたり、大元師陛下の御召艦としての栄に浴した。
昭和十二年「アーマー」の取付け、「バルジー」の新装備、前檣楼の改装射撃盤の近代化等の再改装が呉工廠で行われ、同五年初めに最新鋭の高速戦艦として第一線に復帰した。同年秋、横浜沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式には重ねて御召艦となった。
昭和十五、六年には高松宮宣仁親王殿下がその砲術長として勤務された。
昭和十六年十二月大東亜戦争が勃発すると、比叡は新編成の第一航空艦隊の支援部隊として「ハワイ」印度洋「ミッドウェー」等の海戦に参加し、大いに武威を輝かした。
昭和十七年後半、南東方面の戦局が急を告げるや、同方面に再び作戦し、第二次「ソロモン」海戦南太平洋海戦に参加した。同年十一月十二日深夜「ガダルカナル」島敵飛行場砲撃に任を帯びた特別挺身攻撃隊(戦艦霧島、軽巡一隻駆逐艦十二隻)の旗艦として目的地に突入したとき、予期しない敵重巡部隊と遭遇し激しく交戦した。比叡の放った主砲の初弾で敵重巡部隊の旗艦「サンフランシスコ」の艦橋を吹き飛ばしよく敵の大部を倒したが、比叡も亦百発以上の被弾を受け、その一弾が不運にも舵取機に命中し航行不能に陥った。十三日早朝から敵機の反覆攻撃を受け単艦よく奮戦したが日没におよび阿部司令官の命により、乗員を駆逐艦に移乗し、自ら「キングストンバルブ」を開いたが、尚沈まず最後に駆逐艦雪風の雷撃で止どめの一撃を加えざるを得なかった。英霊百八十八柱は艦と運命を共にした。

小室千代太郎招魂之碑

初代比叡の乗組員、茨城県那珂湊出身の方の碑

小室千代太郎招魂之碑
写真の左の碑が、小室千代太郎招魂之碑

アクセス

衣笠商店街から徒歩 5 分

光心寺(こうしんじ

所在地:
〒 238-0031 神奈川県横須賀市衣笠栄町1丁目51
電話番号:046-851-0670