夕涼み会 2022年

2022年7月9日(土曜日)衣笠商店街夏のはじめのイベント「夕涼み会」が行われました。
新型コロナウイルスの流行のため中止してから3年ぶりの開催です。

開催のチラシやプログラムは衣笠商店街のホームページ「夕涼み会(2022.7.9土)」に掲載しています。

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平作川の授業におじゃましました

商店街の近くには「平作川」という川があります。今の時期はよくカルガモの親子が泳いでいるのが見られたりします。時折カワセミが飛んでいたり、アオサギがジーっと立っていたりもするので、「魚がいるの?」とじっくり観察してみると小魚の群れが見えたりします。

よく見ると、網の中に大きいカメが2匹います

2022年6月24日、「平作川の生物をしらべよう」公郷小学校の5年生の授業におじゃましました。
先生はNPO法人三浦半島生物多様性保全の天白牧夫さん。
平作川のところどころにワナが見えます。授業のために前日に設置したのだそうです。

とれたてのテナガエビ

アカミミガメは通称ミドリガメといいます。昔はお祭り縁日の屋台などでもお馴染みでした。
平作川は潮位のサイクルで水位域の変動が大きいため、アカミミガメの卵も、あるいは子どもが生まれても海に流されてしまい繁殖しないのだそうです。なので、ここ平作川にいるアカミミガメは全てだれかの家で飼っていた個体なのだそうです。

みんな捨てられた「本人」なんですね…。

化石になる前の昔の貝殻

「博物館に行ってぜひ調べてみてください」天白先生からみんなへの宿題が出されました。
平作川の川底に落ちている貝殻で、今は生息していない貝の貝殻なのだそうです。

子どもたちから、いろんな形容詞が飛び出しました

大きなアオダイショウです。「こんなに大きいの初めて見ました」と天白先生も目を輝かせていました。
朝に川の塀に居たものを捕獲したそうです。

アオダイショウも、捕獲した在来の生物は授業が終わった後に、元の住処(すみか)に返してあげました。

(本日見られた生物)
アカミミガメ
クサガメ
スッポン
コイ
フナ
テナガエビ
クロベンケイガニ
チチブ(ハゼの仲間)
メダカ(改良メダカ)
モクズガニ
アオダイショウ

博物館で三浦一族

横須賀市自然・人文博物館に、衣笠城のジオラマがあるよと教えてもらい行ってきました。

蓼原古墳出土埴輪 男子弾琴椅座全身像
蓼原古墳出土埴輪 男子弾琴椅座全身像

1階にある「人文」の展示室にあります。
人文の展示室は、三浦半島に人が住み着いたころから豪族「三浦一族」の時代までを体感する部屋です。

相模国封戸祖交易帳

「三浦」は昔は「御浦」だったんですね。735年、奈良時代のことです。

展示室に、大きいジオラマがありました。これが衣笠城です。

衣笠城 縮尺/1:500
衣笠城は、平安時代の末につくられた山城である。鎌倉時代になると、北条氏との対決にそなえて、さらに城を大きくした。今も山城の遺構がたいへんよくのこっている。

(ジオラマの説明)

「大善寺」が目印になるかな。たぶんこの道があの急坂で…
田畑いっぱいで、いい所だったんだろうなと、想像してぼんやりしてしまいます。

ジオラマって楽しいです。

絵の巻物も展示されていました。

平安時代後期の合戦の絵巻「後三年合戦絵詞」の一部とのこと。
かっこいい絵なので調べてみました。東京国立博物館の画像検索で見ることができます。

画像のリンク20220123.jpg

横須賀の博物館(横須賀市自然・人文博物館)といえば、入口にあるナウマンゾウがおなじみですが、ところで、ナウマンゾウっていったいどのくらい前に生きていた動物なんだろう?

こんなふうに、博物館って「なんか気になるぞ」って思って勉強したくなる場所なのかもしれません。それでまた再び博物館に来たくなります。

今日は、いつもは素通りしていたナウマンゾウの説明パネルもゆっくり読んでみましたよ。

横須賀市自然・人文博物館は、衣笠商店街から、横須賀駅行きのバスに乗り「文化会館前」下車、徒歩5分です。

衣笠十字路の地下道に交番があったという話(1)

「衣笠十字路の地下道に交番があった」と耳にします。
機会があるときに、お店の方にうかがったりします。
「あったような気がするね〜」
「雑貨屋があったんじゃなかったっけ?」等々…

2021年2月
地下道のことをSNSに投稿したところ、コメントをいただき、「交番があった」ことにほぼ間違いないことが分かりました。

みなさん、ありがとうございます!

snsのコメント

「ここ、40年位前交番じゃなかったっけ?」

snsの画像

「よく見たら、昔々交番だったとこだね。」

「交番があったのは間違いないですよ。〜略〜 交番が無くなってしばらくの間も、丸くて赤い電灯が設置されたままだったと思います」

<20201年2月10日(水)>

衣笠行政センター 観光課Sさんに相談したところ
(行政センターには、衣笠近郊の古い写真が保管されています。)調べていただいたところ、残念ながら、地下道の写真はありませんでした。
警察署か土木事務所に問い合わせるとわかるかも、とアドバイスをいただきました。

ありがとうございます!

神奈川県警察署 地域課に電話で問い合わせ、調べていただきました
記録としては、「昭和20年 衣笠駅前駐在所発足」、「老朽化のため取り壊し」とあり、取り壊しの日付は不明とのことです。
(以下は担当の方のご考察)「駐在所」と「派出所」は別のものなので、現在の衣笠駅前にある派出所(交番)と記録にある駐在所は別のものではないか、取り壊し時期は現駅前派出所の建て替え時期などにも関連があるのではないか、とのことでした。

ありがとうございます!


しらべものには増える宿題がつきものです。
図書館に昭和20年の地図を見に行かなきゃかも…
地下道が作られたのはいつなのかしら?(竣工の看板を確認しにいかなきゃ…)

(続きます)