衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年

パンフレット「アーケード完成記念」昭和44年

昭和44年(1969)刊行 パンフレット「アーケード完成記念」

衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
表紙
衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
ごあいさつ
衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
アーケードイメージ図とお客様の声
衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
アーケード概要
衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
沿革と広告
衣笠商店街「アーケード完成記念」昭和44年
裏表紙

提供:有限会社 井出新聞店

アーケード概要

■延長 233m 高さ平均9.5m
■面積 1526㎡
■着工年月日 昭和44年1月15日
■完成年月日 昭和44年3月29日

「沿革」より

■商圏 横須賀市衣笠地区及び西部地区・久里浜地区の一部
■全長 県道を挟む410mと新商店街260m
■店舗数 161店(43年12月現在組合加入店舗)
■立地 地形的には横須賀市の中心部に位置し、周辺部における住宅地開発は年々活発となっており、下町商店街に次で横須賀市の副都心的性格をもって来ている。

衣笠地区は、従来横須賀市の中心街より若干離れた農耕地区であったが、大東亜戦争末期即ち昭和18年、武山及び久里浜方面に海軍施設が拡充されるのに伴い、国鉄久里浜線が新設されるに及んでここに衣笠駅が開設された。

又、葉山・久里浜間の、いわゆる軍道も新設されたが、衣笠駅は単に軍用のみに使用されるに過ぎなかった。しかし終戦とともに一般乗客にも利用されるようになった。丁度、深刻な物資不足の折から、衣笠駅前を中心として闇市が開かれ、これが次第に発展して、昭和23年頃から逐次(ちくじ)商店が開設されはじめた。

昭和25年に至り、遂に闇市が解散・消滅したので漸(ようや)く商店街としての様相を整え、同年暮れに「衣笠商栄会」を組織し、衣笠商店街の発足を見るに至った。

爾来(じらい)日と共に発展の一途を辿り、昭和26年には歩道沿いに一球街路灯を建設、昭和29年4月、歩道の舗装と共に下水が完成し、同時に先に建設した街路灯も三球スズラン灯に改装した。昭和32年11月には鉄骨アーケードが完成、車道は全面舗装となり、スズラン灯は一躍美麗なネオン灯に改装して街の美観は一段と向上し、衣笠地区は将来の横須賀市の副都心と称(たた)えられるまでに成長したのである。

街の形態が完備すると共に各店主一致協力して、昭和35年4月1日衣笠商栄会商業協同組合を創立し法人組織による商店街とした。先に建設して美観を呈したネオン灯も、その後故障続出のため、組合員の総意による研究の末、昭和36年群馬県高崎市の賛光電気産業の製作になる砲弾型水銀街路灯に改め、ここに全県下に誇る明朗な街が誕生した。

組合活動は益々活発となり、予(かね)て入手してあった商店街中心部に商栄会館建設の議が成立し、昭和37年2月永年草地であった所にブルトーザーの音も高らかに商栄会館建設工事が開始された。

工事は極めて順調に進展、間もなく商栄会館は竣工し昭和37年10月1日落成式挙行の運びとなり、同月5日、衣笠栄町2丁目20番地所在の旧事務所を衣笠栄町1町目70番地の新会館内に移転現在に至っている。

新会館落成に先だち、昭和37年6月27日臨時総会を開催、衣笠商栄会商業協同組合を、同年5月17日公布施行された法律141号商店街振興組合法に準拠して組織を変更し、組合名を「衣笠商店街振興組合」とする事を議決し、直ちに変更の許可申請の手続きを行った。翌昭和38年1月21日組合組織変更を神奈川県知事によって認可された衣笠商店街振興組合として新発足し、組合員一同横須賀市の副都心たる衣笠地区振興のため、現在に至まで協力して奮励努力(ふんれいどりょく)を続けている。

その後昭和41年3月、衣笠振興産業株式会社が、国鉄衣笠駅北東側の国鉄用地の払下げを受けて宅地を造成し、本組合員その他へ分譲した。この分譲を受けた者が店舗の共同建築を行い、昭和43年6月30日、旧店舗街に並行して新店舗街が完成、各店舗が開店し、各店主は本組合に加入した。これにより店舗街は従来の区域から大幅に拡大すると共に、建築物の近代化によって一段と壮麗の度を加え、横須賀市の副都心たる衣笠地区に一層の光彩をそえ、益々発展の一途を辿り全国商店街の注目を集めつつある現状である。